訪問者:氏名不詳
商品貨幣
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問題 4-20 未公開
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0/86 ...1点以上 0%
概要 †
- 前回説明した「等価物」から、貨幣の定義に進みます。
等価物による表現 †
▶価値は表現される
- ここまでで証明された命題:商品が存在すれば、
①かならず価値がある
②その価値はかならず表現される。
- 表現というのは、見えないなにか something を見えるモノ the thing で示すことです。
- 前回話した見えないレイアから見えるレイアへ、というあのレイア越えです。
問題 4-1
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1/91 ...1点以上 1%
▶解答
▼解答
▶解説
▼解説
- リンゴ1個ををみたって、だれもそこに重さそのものはみえません。
- リンゴの重さという性質を、100グラムの鉄の重りではかっているのです。
- 重さという性質が、何キロという重量で計測させるわけですから、計量もそのかぎりではレイア越えをしています。
- でも、計量はだれがはかろうと、客観的にきまります。
- リンゴ1個の価値は、状況に応じてミカン3個だったり2個だったり変わってきます。
- 解答は「人によって」となっていますが、ちょっと問題あり。
- 人によって主観的に変わると昔の教科書(この講義で使っている教科書もちょっと古くなってきました)には書いてあったのですが、
- 多種多様な大量の商品で構成される環境の状態(←これはだれがみても同じ)を、人が判断するところで変わるのです。
- 芸術作品などなら、作者の個性で表現が変わる、といってもよいのですが、価値の表現はちょっと違って、商品の持ち主は、できるだけ客観的に状況を判断しようとするのですが、この判断が人によってズレるのです。
- リンゴの重さをはかるときにはこんな判断の余地はないでしょう。
▶after
▼after
- 「見えない」:表現 vs 「見えない」:計量という答案が多かったのですが、これはNG.
- いつも「見えない」「見えない」で型づけてはダメ。
- リンゴの重さだって、見た人はないでしょう。リンゴは見えますが。リンゴの価値ももちろん見えません。
- 単位がある・ないという答案もかなりありましたが、これもNG.
- 「リンゴ1個の価値はミカン3個に等しい」という価値の表現では、ミカン1個が単位です。
- この後貨幣が定義され得れば、「リンゴ1個は300円」となり、表現には単位がないが誤りであるのはわかると思います。
- というわけで、正解に近いものはほとんどありませんでした。うえの解説をよく読んでください。
▶等価物で表現される
▼等価物で表現される
- 商品の価値は、他のさまざまな商品の物量で表現される。
- 表現に使われる商品(の物量)を等価物という。「等しいもの」equivalent という意味です。
- 「リンゴ1個がミカン3個に等しい(値する)」というとき、ミカン(文脈に応じてミカン3個)がリンゴ(1個)の等価物である。
- 定理:商品の価値は等価物によって表現される。
貨幣 †
▶貨幣の定義
▼貨幣の定義
- すべての商品が、共通の商品でその価値を表現するようになったとき、この共通の商品を一般的等価物とよぶ。
- 一般的等価物によって、すべての商品がもつ価値は、共通の統一された表現を与えられる。
- さらに一般的等価物が、持続性(今日も明日も....)をもったとき、これを貨幣とよぶ。
- この発展した究極の価値形態が、貨幣による表現である。
- 「発展した究極の」の意味は
- 単一性(共通の等価物に統一)
- 持続性(日々一般的等価物が替わることはない)
である。
▶貨幣の必然性
▼貨幣の必然性
- 「商品だけが存在し,貨幣は存在しない」ということは論理的にありえない。
- 貨幣の存在は論理必然的
- 価値はかならず価値形態をもつ。
- 価値形態はかならず持続的な一般的等価物を生みだす。
問題 4-2
風は見えないが、揺れる木の葉に現れる。しかし、風の現れ方はさまざまだ。だから、見える現象を切り捨てることではじめて、見えない本質は捉えられるのだ。
この主張は正しいか誤りか、理由を述べよ。
4-2 の回答を +
17/94 ...1点以上 18%
▶解答
▼解答
- 誤り。
- なぜなら、「見えない風がまず存在する」という大前提が証明されていないから。
▶解説
▼解説
- 難問です。
- 「見えない風が存在する」というのは、アタリマエのようですが、でもアタリマエは当たり前じゃない。
- 多くの場合は、アタリマエは当たり前だという常識の世界に安住していて問題はないあのですが、
- 「貨幣とはなにか」という問題は、アタリマエの世界では、堂々巡りにおちいってしまいます。
- ここを突き抜けるには、「価値の現象形態とは別に、価値が存在する」という大前提を捨てなくてはダメ。
- 「揺れる木の葉(現象)を切り捨てると、風の本質がわかる。」という科学観を卒業しよう。
- 直接みえない自分の身体の様子は、身体の影から切り離して分析できません。
- 商品の価値も、その価値形態から分離して捉えることはできません。
- だから、価値の「形態」に対して、価値の「実体」というタームをもちいる経済学の常識は棄却します。
- 教科書の問題11「「商品の使用価値に対する価値の規定は, さらに価値の形態と実体とに二重化される. 商品の価値は,価格比として価値形態と,そ れを規定する労働の量関係としての価値実体からなる」 という人がいる. このような価値の形態と実体という対概念は必要か.」にチャレンジしてください。
- 「価値には「実体」と「形態」がある」といった、わかりやすいだけの二分法にだまされない体力が多少はついただでしょうか。
▶after
▼after
- むずかしい問題でした。厳密に採点したら全部ゼロ点なのですが。
- 「現象を切り離しては本質は捉えられない」といった現象・本質一体論タイプに読める答案は1点としました。
- ①本質=抽象的な「風」→ ②木の葉の揺れ等々のさまざまな具体的な「現象」
- 故に②を切り捨てると①本質が捉えられる。
- 「現象に目を奪われるな」とよくいいます。
- 「正しい。見える現象に捉われると印象操作され本来の形が分からなくなってしまうから。」というような答案がいくつかありました。
- これはふつうの(常識で考えてよい)世界ならOKです。
- 自然科学では、観測値は誤差を含むので、「本質」(この言葉は使いませんが「真の値」)は現象の攪乱要因を切り捨てうることで捉えられるとされています。
- しかし、これは重要な前提があります。①の「本質」が②の〔現象」に先だって、独立に存在する、という前提です。
- 「価値の等価物による表現」という問題を考えるときは、①の前提を外す必要があります。
- 表現されない「価値」がまずあって、それが価格(←価格はこの後すぐに定義してます)として現象する。だから、「価格を捨象する(「切り捨てる」のちょっと締まった言い方)とホントの価値がわかる」というのはドグマです。
- 「本質」→「現象」という考え方を無前提に受けれてしまうと、逆に「現象」→「本質」という考え方になります。
- つまり、「現象から本質がわかる」だから「現象を切り捨ててはいけない」というタイプの答案になるのですが、これは1点与えませんでした。
- 「現象を切り離しては本質は捉えられない」と「現象から本質がわかる」とは、ちょっと同じにみえるかもしれませんが、「現象から切り離された本質が存在するかどうか」で判定すると反対になります。
- 原論の講義なので、こういうところはゲンミツにいきたいと思います。
✔ ホントにわかったか †
問題 4-3
直接目に見えないリンゴの価値を、「リンゴ1個はミカン3個に等しい」というかたちで、目に見えるようにするのに必要なのはミカンの物量だ。つまりミカン何個というように数えられればよいのだから、等価物であるための必要にして十分な条件はモノであることである。
この主張は真か偽か、理由を述べよ。
4-3 の回答を +
10/92 ...1点以上 11%
▶解答
▼解答
- 偽
- 価値表現に必要な等価物は、それ自身、価値をもつ商品であることが必須。
- ミカンの価値は、直接測ることはできないが、
- ①ミカン1個は一定の価値をもっているとすることで(つまりミカンを等価物にすることで)
- ②リンゴ1個の価値は、ミカン3個に等しいと表現できる。
- モノであることは必要条件、必要十分条件は商品であること。
問題 4-21
4-21 の回答を +
0/60 ...1点以上 0%
問題 4-4
「印刷すれば貨幣はいくらでもふやすことができる」というのが誤りなのは、印刷された紙片はそもそも( )ではないので( )をもたず、等価物になりえないからである。
( )にはいる各単語を、半角の空白で区切って1行で答えよ。
4-4 の回答を +
94/97 ...1点以上 97%
▶解答
▼解答
▶解説
▼解説
- ①貨幣は等価物の発達したすがたであり、②印刷されたものは等価物になりえない、という論理。
- ①はここでは当然のこととして前提したが、この前提の妥当性は先週1時間半かけて検討しました。
- 等価物とは何かを厳密に定義しておくことが、貨幣はタダの紙きれでよい、記号にすぎない、という主張に対する根本的に批判する基礎となります。
- 「貨幣は無価値な紙きれでよい」という主張に対して、「貨幣は、商品の価値の大きさを表すもの、だから、価値のないモノでは価値を表示できない」と答えたことになります。
- 「貨幣はリンゴをミカンに交換するための手段。交換の結果、消えてなくなるの、だから紙でもよい。いや、よく考えてみれば、紙に書かれた数値なんだから、もともとそれ自身に価値などないのだ。」という人を納得させるのはたいへんですが、これでどうで納得できたでしょうか。
- 交換(正確には販売)のまえに、商品ならその価値を表示する必要があり、タダの紙きれやタダの記号では、それを使って値段のつけようとしてもつけようがないでしょう。
- 「値段をつける」というのは、つまり「価値を表現する」ということなのです。
- このように、商品の価値表現を貨幣の第一規定と考え、商品価値から貨幣を説明する立場(考え方)を商品貨幣説とよびます。
問題 4-5
等価物になりうるのは、商品の実物以外にはない。
真か偽か、理由を述べよ。
4-5 の回答を +
4/97 ...1点以上 4%
▶解答
▼解答
- 偽
- 商品を引き渡すという「債権」も、商品の実物とは異なるかたちでだが、商品価値を代表している(商品価値と結びついている)ので等価物になりうる。
▶解説
▼解説
- 等価物は「価値をもつ」商品でなくてはならないが、「価値をもつ」というのは「モノをもつ」ことではない。
- ミカンが商品になれば、モノとしてのミカンの物量1個 P と、商品としてのミカンがもつ価値 X が結びつく。
- ミカン1個を受けとる権利 Q でも、商品としてのミカンの価値 X に結びつく。
- Q は証書のかたちをとる。さしあたり倉荷証券とか、船荷証券といった有価証券(譲渡可能な証券)をイメージすればよい。
- 等価物には
- モノそのものを用いた物品型
- モノに対する請求権を用いた債権型
がある。
- 1.の発達したすがたが、金貨幣を代表とする「物品貨幣」
- 2.の発達したすがたが、銀行券を代表とする「信用貨幣」
▶要するに
▼要するに
▶for the next lecture
▼for the next lecture
- 必ず価値があるから、
- 必ず価値表現の形態(価値形態)があり、
- 必ず等価物がある。
- 等価物になれるのは商品の実物(物量と価値の大きさが切り離されていない商品そのもの)だけじゃない、見えない商品の価値と、見える(客観的にはかれる)モノを結びつけている「債権」も、等価物の最低限の要件を満たしている。
- ということは、商品の価値から説明(←これを商品貨幣説といいます)できる貨幣には、
- コイン型の物品貨幣
- 銀行券型の信用貨幣
という2つのタイプがあり、
- 日本銀行券を基本とする今日の貨幣制度は、信用貨幣によるものだという話になるのかな....などと予想しつつ、
また来週。